璃房ステンドグラス

DIARY日記

関係ない話だが

アートスクールに通いだして半年間はバイトもせず預金で暮らしました。
地下鉄は慣れてないので、最寄り駅が東横線の多摩川園で、川沿いに大きな公園のある環境の良いところにアパートを借りました。
当時アートスクールは週5で土曜日も自由に使えたので週6で通いました。学校が終わると銭湯に行き、若貴×曙の相撲を見る、そんな日々だったと思います。
秋になりバイトを始めました。缶詰工場からより良い時給を求めて居酒屋で終電まで働きました。新規オープンのお店でとても忙しく、新しい主任が来るまでの半年間、まかないも食べれず終電ギリギリまで働きました。(苦労話じゃない、苦労した気はまるでないのだから)
駅からアパートまでの途中、中原街道沿いにラーメン屋があり、よくそこで遅い晩ご飯を食べました。いつも1時過ぎに現れるので、マスターもバイト帰りだと分かっていたのでしょう、「サービスです」っとよく卵をくれました。
ある日、常連さんらしい人との会話で「今日で店を閉めます」ッと聞こえてきました。今まで会話などしたことがありませんでしたが、何か言わなくちゃ、卵をいつもありがとうとか、店がなくなると困るよ、とか何かねぎらいの言葉を・・・
「ごちそうさま」と結局いつもと変わらない言葉で店を出ました。
ここで何か言ってあげたらどんなにうれしいだろう。どんなに救われるだろう、という言葉を、人生のいろんな場面で私は言わなかった気がします。
もう15年も前のことですが、よく憶えています。
先週の生徒の発注はよく忘れるくせに。
きっといつも1言足りない私に何か教えたいのかな。
ありがとうとかごめんなさいとか、褒め言葉もあまり言わないね。
そんなことを考えている間にもうすぐ41歳です。
きっとさくらが綺麗に舞い散っていたからでしょう・・・ってサクラは関係ないか。