璃房ステンドグラス

DIARY日記

最後の家族旅行

昨日一昨日は仕事で岐阜に行ってきました。
長距離なので少し戻った恵那に宿を取りました。
私が中学生の時、最後に行った家族旅行が恵那峡でした。
当時中1だった私は、7時に見たいテレビ(Dr.スランプアラレちゃん)が始まるから早く帰れと車を急がせました。
子供心にも『なんか親に悪かったかな?』そんな記憶が残っています。
父が、母の介護にも疲れ出した数年前(80歳前後?)昔の話をするようになりました。
「恵那峡で家族旅行も最後かな。と思った」と言いました。
私が面白そうじゃなかったことを感じていたのでしょう。
今、子供を持ち、どこに連れて行っても楽しそうにしているのを見るのが好きです。
布団をかぶせても、捕まえる素振りを見せるだけでも、キャッキャと笑顔で喜んでくれます。
いつか、さめた中学生になるのかな。
宿には早かったので恵那峡に行きました。
山あいから大きな観覧車が見えたとき、母もまだ元気だった頃を思い出しました。
最後の旅行はここだったな。
駐車場に車もなく、ジェットコースターも止まったまま。もう潰れているのかと思えた遊園地は、近づくと観覧車が回っているのが分かりました。
停車してエンジンを切ると、遠くから聞こえてきた音楽が、閑散とした園をより寂しげに感じさせています。
シートを倒して、結局1組しか乗った人を確認できなかった観覧車を眺めてました。
母が生きていた頃は、毎週こんなふうに自然の中でのんびりする時間がありました。
車のハンドルや、ガラスカッターにもあそびの部分があるように、そんな時間も必要なのかもしれません。
病気になることで、私に生活のリズムと休日を作ってくれたとさえ思えます。(そんなつもりはないと思いますが)
今日が命日です。
恵那からの帰り高速を甲府で降り、お墓にはちょっと派手な花を買って飾りました。
人に嫌われないぐらいが取り得の人。
でも、分かりづらいが人を活かすことのできる人。能力を見極め、進みたい方向へ導くのではなく、目の前の小石を取り除いてくれるような人でした。そして上手くいく魔法のかけ方を私に教えてくれました。
恵那に行ったり、お墓に寄れたのも、母に呼ばれた気がしています。